アメフト日大監督は加害者で被害者だ。そこから僕が学んだこと。

どうもqubotanです。

連日ニュースを賑わせている日大アメフトの問題ですが、僕も思うところがあったので簡単に吐露していこうかなぁと。

監督が反則を指示した/認めないことは悪い

当たり前。

あんなプレー今まで見たことないと関学側の監督さんも言ってましたね。全面同意。

んで、「なんかあったら自分に指示されて反則したと言ってもらっていい」と言っておきながら会見では「そんな覚えない」ですからね。

それはどうなのよ。

そして会見後入院するという一連の流れはまさに様式美としかいいようがないね!

 

年とってから自分の根幹を揺さぶられるのはきつい

でもね。

人生の過程で色々な要素から自分(イズム)が出来上がってくると思うんだけど、あの年になって時代の流れで君のやり方は違うよ、と言われて「はい、じゃあ変えます」って新しいものを受け入れるのって今のお年寄りにはなかなかできないんじゃないかと。

いや、変えなきゃダメなんだろうけどさ。

 

 

 

 

 

 

でもさ、でもさ。30代~の人に問いたい。

 

 

 

 

 

 

新しいことってさ、年々面倒くさくならない?

 

 

 

 

 

 

 

itunesとかPCのOSがバージョンアップして今までと勝手が変わったとき、面倒くせ~何で仕様を変えるんだよ、前の方が絶対よかったじゃんってなりません??

 

 

 

 

 

 

 

僕は、なる。

僕みたいなインターネットに昔から慣れ親しんでて、いろんな情報が常にあふれ、吸収しやすい環境にいる世代でも新しいこと受け入れるの面倒くさいんですよ。

閉じたコミュニティで数十年過ごしてきただろうこの世代ならなおさらじゃないでしょうか。

この監督でいうと根性至上主義、背中で語る、体罰オッケーみたいな?

そういう時代じゃないんですよっていったところで、なまじ成功体験なんかもあるもんだから固執しちゃうんだろうね。

だから、あの監督はある意味加害者でもあり時代の流れに追いつけなかった被害者ともいえるかもしれない。

勉強不足といえるし、自分イズムを通すんならあの会見でも「自分が反則させた」としっかり言ってほしかったし、イマイチ反省してない感が腹立つけどね。

 

あの事件から学んだこと

これからもスタンダードが変わっていくことは多々あると思う。

その時にワシはワシのやり方でやる!それしか出来ない!だと今回みたいな問題になるわけで。

 

つまり

年くっても柔軟でいないとダメだ。

柔軟でいるためには、自分の核となるものはもちろん持つべきだと思うけど、遊び(改良の余地)の部分は残しておいて、新しいもの(考え)に常に触れ、色々やり方を模索し続けなあかんなぁと。

そういや今回のこの記事も僕なりの一つの模索だわ!

とりあえず、「最近の若い奴らは」って言い始めると危険かな~と思ってます。

 

 

 

ひとつ例を出そう!

音楽をかじったとき、TVで流れたり、最近売れ始めた音楽に対してなぜか上から目線で「ふ~ん今はこんなのが売れてるんだ、ま、僕は興味ないけど」みたいなことを言うやつ。

あれはあかんよね。お前は本当にその音楽をしっかり聴いたんかと。なぜ売れているのかを理解したのかと。そもそもお前は何を成し遂げてそんなことを言っとるんだと。

 

 

・・

 

 

・・・

 

 

・・・・

 

 

はい、大学生の時の僕です!!

恥ずかしい!!

死にたい!!!!

以上。

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